大植英次/大フィルのマーラーが、東西にもたらした衝撃を再考する。: エンターテイメント日誌
大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団が東京公演および大阪定期で披露したマーラー/交響曲第5番の意表を突く解釈をめぐり、東西で大騒ぎになっている。大フィルの演奏がこれほど多くのブログに取り上げられたのは前代未聞だろう。東京公演を聴かれた方は概ね大植さんのマーラーに対して否定的で、大阪はさすが地元だけあってファンが多く、肯定的意見に傾いているという地域の温度差も面白い。ちなみに僕の意見は下記記事に書いたとおり。
その解釈の是非は置いておいて、平成20年度まで大阪府から貰っていた補助金+貸付金=1億2千万円が来年度より廃止され、窮地に立たされた大フィルにとって、世間の注目を集めるということは大いに意味があることだろう。一番いけないのは可もなく不可もない平凡な演奏をして、人々の口にものぼらないことではないだろうか?これだけ物議を醸したのだ。ライヴCDを出せば、かなり売れるだろう。
ジェニーcarryer肥満
今を溯ること数十年前、マーラーは長大で支離滅裂な交響曲を書いた人と見なされ、マイナーな作曲家でしかなかった。レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルが世界初となる交響曲全集のレコーディングを完成させたのは、やっと1960年代後半のことである。カラヤンがマーラーを初録音したのは1972年。64歳のときだった(第5番)。これがルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」が公開された翌年であるのは決して偶然ではないだろう。また、フルトヴェングラーはマーラーの交響曲を生涯一度も振っていない。
レニーが初めてウィーン・フィルでマーラーを取り上げた時も、楽員たちは「どうしてこんな曲を俺たちが演奏しなくちゃいけないんだ?」と馬鹿にした態度で、失笑しながら弾いている弦楽奏者もいたそうだ。レニーが「これは君たちの音楽じゃないか。どうして真剣に取り組まないんだ!?」と激怒したというエピソードは余りにも有名である。
発育遅延と言語
だからマーラーの交響曲が普通に名曲として扱われ、CDの種類も沢山あってコンサートでも人気が高いという現状の方が僕はむしろ尋常ならざることのように想われる。
前にも考察したとおり本来マーラーの交響曲は病的に膨張し、歪んだ、奇怪な音楽である。でも我々は綺麗に流れて耳に心地よい、オブラートにくるまれたマーラー演奏を聴き慣れてしまった。
そこへ今回大植さんがマーラー本来の姿を、グロテスクなまま提示された。だから多くの人々が生理的嫌悪感、拒否反応を催したのかも知れない。
マーラーの音楽は非常に人間的である。誇大妄想、自己矛盾、混沌としたその世界は、複雑な現代社会に生きる我々の姿そのものである。故に20世紀後半になって多くの人々の共感を得たのであろう。しかし誰だって、醜い姿に成り果てた自分自身を鏡で見たいとは想わない。大植さんは敢えてそれをされた。それがこの騒動の真相なのではないだろうか?
皮膚の層の分離は、水疱を生じる
ベートーヴェンのスコアには作曲者自身が書いたメトロノームによる速度表記がある。それは当然、遵守されなければならない。演奏家は楽譜に書かれた以外のことを付け加えたり、差し引いたりすべきではない。だから僕は大植さんのベートーヴェンを評価しない(メトロノーム記号を無視してもよいという根拠がもしあるのなら、どなたか是非教えて下さい)。しかし今回のマーラーに関する限り、スコアに書かれたことを読み込んだ結果あのような演奏になったのではないだろうか。僕にはそう想えるのである。
ところで今回のコンサートでは大植さんの激痩せも話題になっており、健康不安説やマーラーの解釈と絡めて論じているブログも散見された。しかしその意見は正鵠を射たものではないと僕は考える。
2007年2月に大植さんは首を痛めてドイツの病院に入院され、大フィルの定期演奏会(マーラー/交響曲第9番)をキャンセルされた。続く6月、下記のような大変な出来事もあった。
そして同年11月末から12月にかけて、大植さんの体調は最悪だった。
あの頃に比べると今回のマーラーでは体も良く動いていたし、病気のようには見えなかった。むしろ健康のために計画的に痩せられたのではないかという気がした。調べてみると指揮者の岩城宏之さんも罹患された頸椎後縦靱帯骨化症は肥満が病気の一因だそうだ。つまり、首の病気は減量することにより再発予防に繋がるのである。
以前「大植英次、佐渡裕〜バーンスタインの弟子たち」という記事にupした写真をもう一度掲載しよう。
どうです?昔の大植さんは痩身の青年だった。その頃の体型に戻されただけのことなのではないだろうか。
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